アルザスの歴史の流れをまとめてみました

アルザスの歴史の流れをまとめてみました

ケルト社会からローマ帝国時代へ

先史時代の後、青銅器・鉄器時代にアルザスはケルト人の時代を迎え、紀元前7世紀頃からその文明が発達しました。

ゲルマン系民族が脅かすようになると、古代ローマで勢力を持ったカエサルが北上し紀元前58年にライン川の東側(現在のドイツ側)に追い出します。

ローマ帝国は領土を拡大し、ローマ人たちがアルザスに定住するようになり、ストラスブールをはじめとする複数の都市の原型を作りました

パクス・ロマーナ(ローマの平和という意味)という時代を謳歌していると、またゲルマン系民族がやってきます。アレマン族とフランク族で、アルザスには3世紀ごろから住み始めるようになりました。

ローマ帝国の方は東西に分裂し、アルザスは西ローマ帝国に属することになりますが、西ローマ帝国は476年に滅亡します。

フランク王国時代はメロヴィング朝からカロリング朝へ

一方、フランク族は勢力を伸ばし、フランク王国メロヴィング朝を5世紀に成立させ、アルザスもフランク王国時代に入ります

メロヴィング朝は衰退し、8世紀にカロリング朝が開かれます。

カロリング朝のフランク王であるカール大帝は戴冠してローマ皇帝となったため、カロリング帝国という言葉も使われます。

この頃にはキリスト教がアルザス全域に広まりました

フランク王国の分裂から神聖ローマ帝国時代へ

カール大帝の跡継ぎの死後、後継者たちによってカロリング帝国は何度か分割され、アルザスは9世紀に東フランク王国に属することになります。この東フランク王国は後に神聖ローマ帝国と呼ばれるようになり、アルザスは、17世紀にフランス王国領となるまで神聖ローマ帝国に属することになるのです。

神聖ローマ帝国時代の社会と文化

では神聖ローマ帝国時代に社会はどのように変化したのでしょうか?

12世紀から13世紀にかけて、多くの修道院ができ、アルザスの発展にも大きくかかわっていました。また、当時の町や村はこうした修道院やその他の領主の支配下にありましたが、商工業者を中心とするブルジョワ階級の人々は、ギルド(同業者組合)の結成などにより、地域の政治を担っていくようになります。

皇帝の力が増すとその支援を受けて、宗教権力や領主の支配から解放され、大きな町は帝国都市として発達していくことになるのです。

この時代には、防衛機能を備えた城も数多く建造され、都市は城壁で囲まれた城郭都市となっていきました。定期市の開催も都市の特権のひとつです。

14世紀から15世紀のアルザスは、数々の戦争、黒死病、傭兵による略奪など、多くの困難に見舞われます。

こうした中、1354年には、アルザスの10都市が同盟(十都市同盟)を結びます。防衛と経済協力を目的としたもので、中世に都市間のネットワークを作っていたのは驚きです。

黒死病が広まると、ユダヤ人が井戸に毒を入れたといううわさが広まり、各地でユダヤ人が迫害されました。

また、1525年には農民戦争と呼ばれる反乱が起き、鎮圧によって多くの農民が命を落とすという悲惨な出来事もあり、都市のブルジョワに比べ、ユダヤ人や農村部の人々にとっては非常に辛い時代だったと言えます。

15世紀の終わりから、経済が盛り返し人口も増えアルザスは16世紀に繁栄の時期を迎え、文化的にも発達し、ヒューマニズム(人文主義)の中心地となります。宗教改革の波が伝わり、多くの町や村がプロテスタントになっていきます。

しかし、ヨーロッパの多くの国を巻き込んだ大きな戦争が起きました。三十年戦争(1618-1648)です。これによってアルザスは甚大な被害を受けました。

17世紀にフランス王国領となる

ウェストファリア条約(ヴェストファーレン条約)によって三十年戦争が終結する一方で、アルザスは段階的にルイ14世のフランス王国領になっていきます。ルイ14世がカトリックを保護する政策をすすめたことは、プロテスタントが拡大していたアルザスに大きな影響を与えたと言えるでしょう。神聖ローマ帝国からフランス王国へと、属する国が変わったこともあり、十都市同盟は解散します。

フランス革命、ナポレオン、普仏戦争

フランス王国領となったアルザスは、他の地域と同様にフランス革命、続いてナポレオン1世とナポレオン3世の時代を経験します。そして1871年、アルザスにとっては波乱の時代の始まりです。

ナポレオン3世とプロイセン国王ヴィルヘルム(後のドイツ帝国皇帝ヴィルヘルム1世)が対立した普仏戦争(1870-1871)でフランスが敗北し、アルザス(ベルフォールは分離してフランス領として残る)とロレーヌの一部(現在のモゼル県)がドイツ帝国に割譲されてしまうのです。ドイツ帝国は取得した領土をアルザス=ロレーヌ(エルザス=ロートリンゲン)州として帝国政府の直轄統治下に置いて、ストラスブールを州都とします。

第一次世界大戦と第二次世界大戦、そして戦後

1914年に第一次世界大戦が勃発し、フランスとドイツは再び敵対します。フランスが勝利して、アルザス=ロレーヌは1919年に正式に返還されます。

フランス領に戻ったのもつかの間、1940年、正式な条約や協定がないにもかかわらずナチス・ドイツはアルザスとモゼル県を併合します。アルザスとモゼルの人々に大きな傷を残す暗黒の時代です。

1944年、連合軍によるノルマンディー上陸、そしてパリ解放。アルザスの町や村も次々に解放されていきます。第二次世界大戦の終結によってアルザスとモゼル県は正式にフランスに戻ります

以降、ストラスブールには欧州評議会、欧州人権裁判所、EU議会などが置かれ、ヨーロッパの首都と呼ばれ、和解と平和のシンボルとなっています。


注1:アルザスの中の大都市のひとつミュルーズは、16世紀から18世紀までスイスと同盟関係にあったため、この時期に関してはストラスブールなどのアルザスの他の都市とは異なる歴史を経ています。

注2:アルザス=ロレーヌという表現から、ロレーヌ地方も普仏戦争(1870-1871)の後にドイツ領になったような印象を受けますが、実際にドイツに割譲されたのはロレーヌ地方の一部です。こうしてロレーヌ地方も複雑な歴史を辿っています。アルザスに関しては、ベルフォール地域は割譲されずフランス領土にとどまりました。


参考:

VOGLER Bernard, « Histoire de l’Alsace », Editions Ouest-France

GRASSER Jean-Paul, « Une histoire de l’Alsace », Collection Alsatiques Gisserot, Editions Jean-Paul Gisserot

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