目次
1.世界一高いキリスト教建造物だった
ストラスブール大聖堂の正式名称はカテドラル・ノートルダム・ド・ストラスブール(La Cathédrale Notre-Dame de Strasbourg)で、ノートルダム、つまり聖母マリアに捧げる大聖堂を意味します。
ストラスブール大聖堂の建造が始まったのは1015年のことでした(日本は平安時代)。
尖塔が完成したのは1439年(日本は室町時代)。高さ142メートルのストラスブール大聖堂は、17世紀から19世紀まで200年もの間、一時期を除いてキリスト教建造物の中で世界一の高さを誇っていました。
2.ロマネスク建築からの転換、ゴシック建築の傑作
建造開始の頃の建築様式の主流はロマネスク。ロマネスク建築様式による大聖堂は1050年頃に完成したと言われています。
土台や地下聖堂などにロマネスク建築様式で建造された部分が残っています。
ロマネスク建築様式で完成した後、暴風や火災などによる損害を何度も受けたため改築が始まりました。12世紀(日本は平安時代~鎌倉時代)にフランスで始まったゴシック建築様式が各地に伝わり、ストラスブール大聖堂の建築にも13世紀にゴシック様式が取り入れられました。
ゴシック建築の傑作ストラスブール大聖堂。ゴシック建築の特徴はなんでしょうか?
- 外壁にフライング・バットレス(飛梁)がある
- ロマネスク建築に比べ窓が大きく建物内部が明るい(ステンドグラスによる多色効果も)
- 内部空間の高さ(外から見ても高いですが)
- 軽やかさの演出(上が尖った縦長の尖頭アーチの窓や扉、リブ・ヴォールトと呼ばれる天井部分の構造など)
ゴシック建築に共通する特徴に加え、ストラスブール大聖堂の外観には驚くべき繊細さと軽やかさが実現され、「石でできたレース」と呼ばれています。
交差部の塔は、修復と改築が何度も行われ、現在のものはネオロマネスク建築様式で造られています。また、大聖堂の一部にはネオゴシック建築様式も見られ、長い年月をかけて今に至っていることを感じさせます。
3.外観
ヴォージュ山脈のバラ色砂岩
大聖堂を始め、ストラスブールの歴史ある教会や公共建築物の多くには赤味がかった色の砂岩が使われています。ヴォージュ山脈のバラ色砂岩と呼ばれる石です。
尖塔と高い塔
上半分と下半分で構造が異なっており、厳密には上半分が尖塔とされます。尖塔部分には8本の階段が上部まで続いています。下半分の方は、単に「塔」または「高い塔」と呼ばれ、八角形の塔が真ん中にあり、その周りに4本の螺旋階段が配置されています。螺旋階段は石造りの筒状の構造物で覆われているため、地上から肉眼で螺旋階段を識別するのは難しいでしょう。
壁面
教会建築で見られる彫刻は、聖書の内容を伝える立体絵本のようなものです。聖書を読んだことがなくても、キリスト像、聖母マリア像などわかりやすいものもあります。
また、キリスト教の教えや世界観を伝えるものや、この大聖堂にしか見られない彫刻もありますよ。例えばコウノトリ。
ガーゴイル
雨どいの先端部分で、動物や怪物などの形をしています。
日時計
ストラスブール大聖堂には日時計がたくさんあります。さて、全部でいくつあるのでしょうか?
大聖堂の向き
正面入り口は西、祭壇のある奥は東に位置しているため、午前中に写真を撮る時は正面が逆光になってしまいますよ。
4.展望台
ストラスブール大聖堂には展望台があり、330段(資料によっては332段)の螺旋階段で登れます(特別な日を除き有料)。地上66メートルの高さから、ストラスブールはもちろんのこと、ヴォージュ山脈やドイツの黒い森(シュヴァルツヴァルト)まで見渡せます。
5.広場
南側(正面向かって右方向)に広場があり、夏は地面から湧き出る噴水が涼しさをもたらしてくれます。また、スケール125分の1の大聖堂ミニチュアがあります。
おすすめ外部サイト1
展望台見学コースがよくわかる動画
Cathédrale de Strasbourg - Ascension vers la plateforme et la maison des gardiens
6.内部
正面には扉が3つあり、中央の扉は通常は閉まったままです。
左の扉から入り、順路に従って見学し、右の扉から出るようになっています。
ステンドグラス、バラ窓、説教壇、パイプオルガン、内陣の壁画、更には天使の柱(別名:最後の審判の柱)と呼ばれる彫刻の施された柱、そして美しく精巧な天文時計まであり、ストラスブール大聖堂は個性的かつ極めて稀な存在と言えます。
キリスト教という宗教的な面だけでなく、多くの人々の様々な知識や技術、そして思いに触れることができるでしょう。
内部の写真に関しては、建物所有者の持つ各種権利保護などの理由により、当サイト独自の写真の掲載は控えさせていただきますが、内部の隅々まで見れる外部サイトを以下にご紹介します。
おすすめ外部サイト2
ストラスブール大聖堂の360度写真サイト
Visite virtuelle insolite de la Cathédrale de Strasbourg
7.カトリック?プロテスタント?
16世紀にヨーロッパで広まった宗教改革により、プロテスタントの信者となった領主や市民たちの町や村の教会はプロテスタント教会となっていきました。ストラスブール市民たちもプロテスタントが主流となり、ストラスブール大聖堂は1529年からプロテスタントの信仰の場となりました(その後10年間ほどカトリックに戻った時期があります)。当時ストラスブールを始めとするアルザス地方の大部分は神聖ローマ帝国に属していたのですが、フランス王国ルイ14世の時代に次々とフランス王国領土となっていきました。ストラスブールも1681年にフランス王国領となり、カトリックであるルイ14世によってストラスブール大聖堂はカトリックに戻されました。
8.大聖堂を訪れた歴史上の人物
ストラスブール大聖堂を訪れた歴史上の人物は数知れません。そのうち何人かをご紹介します。
ルイ15世
大聖堂前で訪問セレモニーが行われた絵が残っています。1744年10月5日から10日までストラスブールに滞在したルイ15世。町をあげての歓迎では盛大なセレモニーが行われている絵や花火が打ち上げている様子を描いた絵もあります。
ゲーテ
ドイツの文豪ゲーテは、まだ学生だった頃の1770年から1771年までストラスブール大学に留学して法学を学びました。大聖堂に大変興味を持ち、後に自叙伝の中で思い出を書いています。
ヴィクトル・ユゴー
1839年にアルザスやスイスなどを旅したユゴーは、ストラスブール大聖堂の尖塔を「巨大で繊細な驚異」と形容し、「冠と十字架を持つ、まさに石で作られた教皇冠(きょうこうかん)」とも表現しています。
ヒトラー
1940年6月28日に大聖堂を訪れた時の写真が何枚かあり、内部で撮影された写真もあります。掲載使用の許可手続きが煩雑なため当サイトではご紹介できませんが、ストラスブール古文書センターArchives Strasbourgのサイトで検索すると見つかります。
ド・ゴール大統領
1959年に大統領に就任したド・ゴールは、1964年11月22日、ストラスブール開放20周年記念のため町を訪れ、まず大聖堂でミサに参列しました。
記録映像が見れる外部サイトina.fr
Discours prononcé à Strasbourg pour le vingtième anniversaire de la libération de la ville
ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世
1988年10月8日から10日までアルザスを訪れたヨハネ・パウロ2世は、初日の8日に大聖堂でミサを行いました。大聖堂の中に記念プレートがあります。
記録映像が見れる外部サイト(YouTube)
Jean-Paul II à Strasbourg en 1988 - Archive INA
この動画の1分25秒から37秒まで大聖堂を訪れたヨハネ・パウロ2世の映像です。
皇太子裕仁親王(後の昭和天皇)
昭和天皇は皇太子時代の1921年6月23日木曜日にストラスブールを訪問されました。まず市内のポリゴーン地区で陸軍の様々な演習や航空機によるアクロバット飛行などをご覧になったあと、大聖堂の天文時計をご見学されたそうです。大聖堂は1920年代に土台部分の強化工事が行われていたため、見学された日も大聖堂内の一部が工事中だったと思われます。
詳しくは動画「1921年皇太子裕仁親王のストラスブール訪問-第1部」でどうぞ。
9.アクセス
大聖堂まではストラスブール駅から約1.5㎞。
トラムA線、D線Langstross Grand'Rue下車
トラムB線、C線、F線Broglie下車
参考