アルザスワイン街道の町カイゼルスベルグ
アルザスワイン街道の町カイゼルスベルグ。オ・ラン県の県庁在地コルマールから北西約15キロに位置し、人口は約4500人です。
自然が織りなす風景と歴史ある町並み、そして個性豊かな建築や独特の景観を持ち、様々な魅力にあふれています。
ワイン街道の北から南下するルートなら、シゴスルハイムから西方向へキンツハイムを通りカイゼルスベルグへ。
このふたつの町とカイゼルスベルグは2016年に合併して、自治体上はカイゼルスベルグ・ヴィニョーブルという名前になりましたが、それぞれの町の名前は残されています。ヴィニョーブルとは「ぶどう畑」や「ぶどう園」を意味で、見渡す限りのぶどう畑。
緩やかな稜線を描くヴォージュ山脈を背景にして見えてくるカイゼルスベルグは、高い丘の上にある廃墟になったお城のドンジョン(主塔)、そして教会の鐘楼の緑色の屋根が印象的です。
サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼路とカイゼルスベルグ
カイゼルスベルグはサンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼路の拠点にもなっています。サンティアゴ・デ・コンポステーラはスペインの巡礼地で、フランスからの出発点がいくつもあります。アルザスの巡礼路は、北から南に伸びるルートで、全部で12か所の拠点があります。
皇帝の山カイゼルスベルグ
カイゼルスベルグに関する最古の記述は1227年のもので、「皇帝の山」を意味するカイゼルスベルグの地名の由来となった出来事が書かれているそうです。
神聖ローマ帝国時代、帝国の代官が城を建造したのですが、なんと土地は自分のものではありませんでした。
このトラブルを解決するために、神聖ローマ帝国皇帝フリードリヒ2世の長男ハインリヒ7世が買い取って土地と城の所有権を正式に帝国のものとしました。なぜ皇帝はこの城に力を入れたのでしょうか?それは、カイゼルスベルグがアルザス地方とロレーヌ地方を結ぶ谷にあり、高い所にあるお城から通過する人や物を監視することができるので、戦略上有利だと考えたからです。こうしてお城の下にできた町は、言ってみれば城下町ですよね。
1293年にカイゼルスベルグは神聖ローマ帝国皇帝アドルフ・フォン・ナッサウから都市として認められ、1354年にはアルザス十都市同盟(軍事・資金協力を目的とする都市同盟)の構成都市となりました。
城壁で囲まれ防御力を備えた城郭都市カイゼルスベルグ。中世の頃の経済活動の中心は、卸業、手工業、そしてワイン。
繁栄の様子は建築や博物館の収蔵品などから見て取れますが、アルザスの他の多くの都市と同様に、カイゼルスベルグも三十年戦争(1618-1648)で大きな損害を受けました。その後フランス王国時代を経て、アルザス全体の歴史を共有し今日に至っています。
シュロスベルグ城(カイゼルスベルグ城)
カイゼルスベルグのお城は、建造されてから何度も手が加えられ、何世紀もの間、戦争や紛争で損害を受け、三十年戦争(1618-1648)の終わり頃には無人となっていたようです。
このお城は町の中心部から徒歩で行ける場所にあり、ドンジョン(主塔)も自由に見学できます。
シュヴァイツァー博士の生家
アルベール(アルベルト)・シュバイツァー博士は1875年にカイゼルスベルグで生まれ、1965年にガボンのランバレネで亡くなりました。カイゼルスベルグには生家と博物館があります。
シュバイツァー博士は、1952年にノーベル平和賞を受賞したことで知られていますが、神学者、牧師、哲学者、音楽家、オルガン奏者、医師という、まさに博学多才の人でした。
また、シュバイツァー博士は、日本の人々との交流がありました。
野村実博士に続き高橋功博士夫妻がランバレネでシュバイツァー博士と医療活動を行ったこと、神戸風月堂のゴーフルに対するシュバイツァー博士からのお礼状、玉川学園からシュバイツァー博士への日本製顕微鏡の贈呈、高橋功博士夫妻によるシュバイツァー博士の遺品の玉川学園への寄贈など、日本と深い縁があるんですね。
アルザスにはもうひとつシュバイツァー博物館があります。なぜふたつも?
シュバイツァー博士の父は牧師で、博士が生後6か月の時に県内のグンスバッハという村の牧師に任命されたため一家そろって引っ越し、博士は子供時代をこの村で過ごしました。博士は1928年に家を建て、それが博物館になったというわけなんです。
カイゼルスベルグとグンスバッハを結ぶ24.5㎞のトレッキングコースもあるんですよ。
生家とふたつの博物館は2019年に大規模な工事が開始されました。リニューアルオープンやコロナ感染防止対策などによる入館規制については、現在のところ詳細がありませんので、どうぞご確認ください。
フランスの博物館・美術館は例外を除き昨年(2020年)秋から閉鎖されたままです。
様々な建築遺産
カイゼルスベルグは中世の頃に要塞化された町で、15世紀につくられた塔をはじめとして、町全体が当時の面影を今に伝えています。中でも独特の景観を作り出しているのが防衛手段を取り入れた橋(1514年建造)です。
その橋の下を流れているのはヴァイス川。水面の光と川の流れる音が周りの風景に趣を添えています。
アルザスらしいハーフティンバー(木の梁や柱を見せる建築様式)様式の家が多い町並み。彫刻の施された木の柱、ねじれた形の柱、複雑な木材の形、宗教的な飾りなど、外から見える様々な装飾に個性が光っています。
また、当時の人々の芸術的こだわりは、張り出し窓、外廊下、窓枠といった部分にも。
聖十字架教会とコンスタンティヌス1世の泉
カイゼルスベルグの聖十字架教会は、アルザスのロマネスク建築街道を構成する建築のひとつで、カイゼルスベルグが歴史に登場した13世紀頃にできたものです。もともとは聖母マリアに捧げられていた教会で、入り口の上のティンパヌムと呼ばれる部分の彫刻は、聖母マリアの戴冠を表現しています。
建物は何度も増築や改築が行われ、19世紀には鐘楼も高さを増すよう改築されてドーム型の屋根がつけられました。
内部に入ると15世紀に作られた十字架の大きさに驚かされます。梁の上に設置された十字架の中央にあるキリスト像は、高さが4メートルもあるそうです。左右の像は聖母マリアと聖ヨハネ。
内陣と呼ばれる教会奥の部分には巨大な祭壇画(1518年)があります。
聖ヘレナ像は、19世紀の制作、教会の前にあるコンスタンティヌス1世の泉は16世紀に作られたものです。
コンスタンティヌス1世(270年代~337年)はコンスタンティノープル(現在のイスタンブール)を建設したこと、また、ローマ皇帝で最初にキリスト教を信仰したことで知られる人物です。聖ヘレナはコンスタンティヌス1世の母で、4世紀、エルサレムに巡礼に行き、そこでキリストが磔になった十字架を発見したと言われています。
聖ヘレナ像もコンスタンティヌス1世像も十字架を持っていますね。
市庁舎
行政・司法機関のために1604年に建造された建物で、現在は市庁舎として使われています。
中庭の壁のフレスコ画は、1293年に神聖ローマ帝国皇帝アドルフ・フォン・ナッサウがカイゼルスベルグに帝国都市として認める様子が描かれています。フレスコ画は700周年記念に制作されたようです。
カイゼルスベルグ歴史博物館
2棟並んだ切妻の建物のひとつに歴史博物館が入っています。
この博物館には1380年に制作された開閉型聖母マリア像がありますが、このような形の聖母マリア像は世界に40点ほどしか残っておらず、貴重な像のひとつだそうです。
カイゼルスベルグのジャン・ガイレール像
ジャン・ガイレール広場にあるジャン・ガイレールの像。
ジャン・ガイレール Jean Geiler(1445または1446~1510)は、カイゼルスベルグ生まれではないのですが、子供の時から住んでいたため、カイゼルスベルグ出身のジャン・ガイレールと呼ばれています。
ストラスブール大聖堂の有名な説教師だったジャン・ガイレールですが、今日その名前は、大聖堂にある小さなものについての言い伝えに登場するぐらいかもしれません。その小さなものとは、説教壇の階段部分に施された犬の彫刻。ジャン・ガイレールがいつも連れていた犬がモデルになっていると言われています。
戦争の傷跡
聖十字架教会の外壁に、普仏戦争(1870-1871)、第一次世界大戦、そして第二次世界大戦で犠牲になった人々の慰霊碑、その横に、US第三歩兵師団の協力による1944年12月18日の町の解放を記念するプレートがあります。
聖十字架教会の後ろには軍人墓地と慰霊碑。
角型の塔(13世紀~15世紀)の壁のひとつにつけられたプレートは、第二次世界大戦中に起きた事件を示しています。この地は事実上ドイツに併合されていたために、ドイツ軍への強制徴兵が行われました。1943年に反対デモを行った79人が収容所に入れられたのです。
更に、徴兵拒否者20人が逮捕され、この塔に閉じ込めれたあと、当時アルザスにあった公安収容所に移送され、そこからまた悲劇の運命をたどっていきました。
また、デモの参加者のひとりは、アルザスにあった強制収容所で銃殺刑に処されています。
ドイツ軍に強制入隊させられたアルザスとモーゼルの人々は、「マルグレ・ヌー(自分の意に反して)」と呼ばれています。この記念プレートによると、ドイツ軍に徴兵されたマルグレ・ヌーは13万人にのぼるそうです。
2017年度フランス人が好きな村第1位
フランス2というチャンネルで年に1度行われる人気投票番組「フランス人が好きな村」。その2017年度版でカイゼルスベルグは第1位に。
第1位に選ばれた村には記念プレートが贈られますが、なんとカイゼルスベルグのものは、設置して数週間後に盗難にあい、番組から2つ目が贈られました。
カイゼルスベルグへのアクセス
バス(Kunegel社)
コルマール駅からタクシー
その他お好きな交通手段で!
参考
Brochure - la Vallée de Kaysersberg (Office de tourisme)
TRENDEL Guy, « Villes fortifiées et Châteaux de plaine », I.D. Edition
Château dit Schlossberg et enceinte
Église paroissiale Sainte-Marie puis de l'Invention-de-la-Sainte-Croix
Retable sculpté et Poutre de Gloire... à Kaysersberg
Musée historique de Kaysersberg
Fondation pour la Mémoire de la déportation – Les arrivées de janvier à mars 1943
Dictionnaire biographique Fusillés, Guillotinés, Exécutés, Massacrés 1940-1944