パリからもフランクフルトからもアクセス便利
アルザスで最も人口の多いストラスブールは、バ・ラン県の県庁所在地です。
パリからはパリ東駅から高速列車(TGV)で約2時間30分ですが、1時間50分に短縮が予定されているようです(2020年9月現在情報)。日帰りが更にラクになりますね。
パリのシャルルドゴール空港からの高速列車(TGV)だと2時間40分~3時間です。
また、ドイツのフランクフルト空港からルフトハンザ航空の直行バス(有料)に乗れば、約2時間45分でストラスブール駅前に到着できます。
とは言え、電車にしてもバスにしても、本数はそれほど多いわけではないので、飛行機からの乗り換えのタイミングが合わないと、かなり時間がかかりますね・・・
直線距離で見ると、パリから東へ約400キロ、フランクフルトから南西に約180キロで、フランクフルトの方が圧倒的に近いです。
人口28万人?49万人?ストラスブールとユーロメトロポール
ストラスブールの人口は約28万人です、と言うと、「あれ、どっかで49万人って書いてあるの見たけど」と思われる方も多いのではないでしょうか。
実はこの49万人(資料によっては50万人、48万人)というのは、周辺の市町村を含めたユーロメトロポールの人口なんです。
ユーロメトロポール??数年前まではストラスブール都市共同体(CUS)と言う名前だったのですが、いずれにしてもこれは何かをちょっとだけご紹介しますね。
フランスでは広域行政のしくみが日本と大きく異なっています。日本では市町村合併が進みましたが、フランスでは、中心都市とその周辺市町村とが共同の地方行政組織を持って、公共交通、環境保護対策、ごみ処理などの政策・運営を行っています。
この広域行政に入っている地域全体(加盟市町村)が実際の生活圏のような感じですね。
ストラスブールの場合は、周辺の32市町村を合わせてユーロメトロポール・ド・ストラスブールという広域行政組織を形成しています。このユーロメトロポールの人口が約49万人というわけなんですね。
ストラスブールの人口28万人というのは、日本の大都市と比べるとすごく少ないですが、これでもフランスでは8番目に人口の多い都市なんですよ。日本の人口が1億2000人以上なのに対して、フランスの人口はその半分ぐらいの約6600万人なので、相対的に都市人口も少ないんですね。
フランスは市町村の区分でも日本と異なる点がありますが、それはまた別の機会に。
ところで、ストラスブールは「ヨーロッパの首都」と「クリスマスの首都」という2つのキャッチフレーズのようなものがあります。わかりやすいようで、よくわからない・・・では近づいて見てみましょう~。
ストラスブールはヨーロッパの首都、どうして?
首都と言っても国の首都のような中央政府があるわけではないんです。フランス語や英語だと「キャピタル」で、首都という意味のほかに、中心都市、中心地という意味もあります。
中心都市という言葉だといくつかありそうな印象を受けますが、首都だと他に匹敵するものがないというイメージが強いですよね?フランスではストラスブールだけでなく、多くの町が「○○の首都」という表現を使って個性をアピールしています。
中央政府はないものの、ストラスブールには欧州評議会、EU議会、欧州人権裁判所などのヨーロッパの重要な機関が置かれています。まさにヨーロッパの中心地、首都と呼ぶのにふさわしい街なんです。
国の首都ではない地方都市にこのように多くの国際機関や外交機関が集まっているのは、世界では、ニューヨーク、ジュネーブ、そしてストラスブールの3都市しかないと言われています。
では、なぜストラスブールに多くのヨーロッパ関連の機関が集中したのでしょうか?
歴史を振り返ると、フランスとドイツ、ヨーロッパ諸国間、更には世界を巻き込んでの戦争がありました。そのたびにストラスブールは甚大な犠牲と苦難を強いられたのです。
こうしたことから、第二次世界大戦後、ヨーロッパの復興と新たな構築の中で、歩み寄りと平和のシンボルとなり、ヨーロッパ関連の機関が置かれるようになったそうです。
ストラスブールは東側に国境ライン川が流れる国境の街です。今日、ストラスブールと対岸のドイツの町ケールを結ぶ橋は4本あります。ストラスブールの国境は、かつては分断のためにありましたが、今ではフランスとドイツをつなぐ線のような役割も果たしています。日常生活で仕事や買い物での往来はもちろんのこと、2か国の交流や協力関係は発展を続けています。
更に過去の時代を見てみると、ストラスブールという都市が実は非常に古くからヨーロッパの各地とつながっていた町であったことがわかります。
現在の都市名「ストラスブールStrasbourg」は、6世紀に登場した名前「ストラテブルグStrateburg 」から変化したものですが、これは「街道の町」を意味しています。既にその頃にはヨーロッパの各都市と街道で結ばれていたんですね。
参考:
HERMANN Jean Frédéric, LEVRAULT F.G., « Notices historiques, statistiques et littéraires sur la ville de Strasbourg, Volume 2 », 1819, p.64 et 65
クリスマスマーケットの歴史と伝統を伝えるクリスマスの首都
アルザス各地でクリスマスマーケットが開催されていますが、中でもストラスブールはクリスマスの首都とも呼ばれるだけあって、圧倒的な規模を誇ります。その歴史を紐解くと、ストラスブールのクリスマスマーケットは、なんと1570年から続いているそうですよ!
その頃の日本はどうだったか調べてみると、織田信長が室町幕府の第15代将軍に足利義昭を擁立した(1568年)頃で、「織田信長、クリスマス」で検索すると面白い話がたくさん見つかりますね。・・・でもさすがにクリスマスマーケットのことは知らなかったでしょう。知っていたら商人たちにクリスマスマーケットを開かせていたかもしれないですね。
さて、ストラスブールのクリスマスマーケットは突然始まったわけではなく、もともと12月6日前後に聖ニコラウスを祝う市場が開かれ、そこで人々はプレゼントや御馳走のための食材を買うという伝統があったそうです。これを12月24日の3日前からの開催として、名前も聖ニコラウスではなく、「幼子キリストのマーケット」と変更されたのが1570年のことなんです。
クリスマスマーケットについては、また別の記事で紹介しますね。
参考:
//noel.strasbourg.eu/le-marche-de-noel-une-success-story-de-1570-a-nos-jours
ユネスコの世界遺産の中で生活する人々
ユネスコの世界遺産ファンの方には魅力たっぷり、そうでない方にとってもストラスブールの建築や風景は好奇心をそそる特別な存在感を持って現れてくれます。
ストラスブールは「グランディル」(「大きな島」の意味)という地区と、これに隣接する「ノイシュタット」(「新しい町、ニュータウン」)と呼ばれる地区がユネスコの世界遺産に登録されています。個々の建築ではなく、広範囲にわたる地区全体が世界遺産というのは珍しいですよね。
「グランディル」はライン川の支流であるイル川と運河に囲まれた島状の地区で、ストラスブールの都市としての形成が始まったローマ帝国時代からの歴史を今に伝えています。大聖堂があるのもこの「グランディル」です。
「ノイシュタット」は19世紀後半から20世紀にかけての大規模都市計画によってできた地区で、細い道の多い「グランディル」とは対照的に、幅広い道を利用した景観の中に石造りの重厚な建物が並んでいます。
ストラスブールは世界遺産に登録されている地区以外でも、様々な建築や風景を楽しむことができます。ヨーロッパ関連の機関が集まっている地区やライン河岸など、ゆっくり散策したくなる場所がたくさんあるんです。
ストラスブールの風景の特徴のひとつに、水の存在があります。ライン川が街の東側に沿って流れ、街の中心部にはその支流のイル川と運河もあり、それぞれ豊かな表情を見せてくれます。水面に建物が映し出されるとともに、太陽光は水面に反射して、建物の壁などに光と影の様々な模様を描き出します。このような風景を見ていると、まるで動き続ける芸術作品の中にいるかのような感覚に包まれてしまいますね!
大学都市
観光で訪れるとあまり印象に残らないかもしれませんが、ストラスブールは大学都市としての顔も持っているんですよ。ストラスブール大学では毎年5万2000人以上の学生が学び、その20%が世界各国からの留学生です。
市内と近隣の町に複数のキャンパスがあります。
日本語学科で日本語を第一外国語として学ぶ学生もいますし、理系の学部学科でも日本語を第二外国語に選ぶ学生もかなりいるんですよ。
ガストロノミーで知られる町
ガストロノミーとは何か、なんとなく「おフランス的」なイメージがあるかもしれませんね。
本来は美食を芸術の域にまで高めた手法や考え方のようですが、人によって解釈の仕方が異なったりもしますし、フランス人向けのサイトやガイドブックでも飲食・食品全般を示すのにガストロノミーという言葉が使われていることも多いので、まあ、日本語で言うグルメと同義語のようになってしまっているかもしれません。
というわけで、ここでは難しいことは考えず、歴史的・文化的な面も含めたグルメということでお願いします。
前置きが長くなってしまいましたが、アルザス地方は豊かなガストロノミーの伝統で知られ、もちろんストラスブールもその文化を支えています。
ストラスブールはアルザスワイン街道に含まれてはいませんが、樽入りワインで世界最古のものがストラスブールにあるんですよ。1472年のワインです!関係ないですが日本では室町時代の応仁の乱の頃ですね。
かつてストラスブールではビール醸造が盛んでした。そこで登場したのが日本でも販売されているクローネンブルグKronenbourgのビール。創業は1664年、当時の名前は「ル・カノンLe Canon 」でした。現在のクローネンブルグ社は同じアルザス内のオベルネという町に移転していますが、ストラスブールで創業した場所には今もル・カノンの名でブラッスリーが続いており、ビール文化を発信しています。
フォアグラのレシピが最初に作られたのもストラスブールだと言われています。
参考:
Ministère de l'Agriculture et de l'Alimentation-Tout ce qu'il faut savoir sur le foie gras
www.lepoint.fr/gastronomie/le-foie-gras-d-alsace-23-12-2010-1278471_82.php#
Cave Historique des Hospices de Strasbourg
環境負荷の少ない交通手段を推進するまち
環境負荷の少ない交通手段、ストラスブールでは公共交通と徒歩がそれにあたります。
ストラスブールは、他の都市に先駆けて、トラム(路面電車、LRT)の活用に力を入れてきました。トラム路線網は国内ナンバーワン。複数の路線によって、市内での移動だけでなく、ユーロメトロポールの他の構成市町村との往来も簡単です。公共交通は都市計画に含まれるので、日本から多くの自治体の方々がトラムやまちづくりに関して視察にいらっしゃいます。
そして自転車。ストラスブールは自転車の利用者が多いことで知られています。自転車専用レーンの全長はフランスでトップなんですよ。
通勤の交通手段に自転車を使う人は16パーセントで、人口10万人以上のフランスの都市では最も高い利用率です。(フランス国立統計経済研究所(INSEE)の2017年発行資料による)
また、徒歩の割合も高くなっています。中心部であるグランディルの多くの道や広場が歩行者天国で歩きやすいですね。
逆に言えば、街の中心部には一般車両が入れないようになっているわけで・・・そこで不便なこともあります。
中心部を歩行者天国にするのは、他の都市でもやっていることですが、景観の変化はそれぞれ異なるので面白いです。
ストラスブールの場合、1970年代の写真と現在の様子を比べると、劇的に変化しているので、昔の写真を見つけるのも楽しいんですよ。
例えば、今は歩行者天国になってイベント広場としても使われている広場が、昔はバスターミナルと駐車場だったり・・・!
ストラスブールの様子をイメージしていただけたでしょうか?
それではまた!
参考:
www.insee.fr/fr/statistiques/2556309#titre-bloc-2